ご覧のレンガ蔵とレンガ造りの煙突は、
母屋とともに大正12年(1923年)に曽田軍平という酒造家の建てたもので、
母屋の棟札に大正12年4月30日上棟、棟梁若山庄二郎と記されています。
関東大震災の数カ月前のことですが、ご覧のように無事に残りました。
その後、銀行の抵当流れとなっていたものを昭和8年に祖父が購入し、
以来祖父、父、私の三代が酒蔵として使ってきました。
昭和47年9月30日に酒造業を廃業し、
それ以降は平成18年3月まで賃貸倉庫として使ってきました。
このレンガ蔵の特徴は、
一見洋風建築を思わせるレンガ造りでありながら、
実際は在来工法による純日本建築であることです。
全国各地に点在する明治大正期のレンガ造りの建築物は、
大抵が洋風建築によっていますから、この一点だけでも貴重であると言えましょう。
酒蔵は母屋や土地とともに旧寿々川合資会社の資産でありました。
会社は無限責任社員1名と有限責任社員5名からなる合資会社でしたが、
5名の有限責任社員全員が同時に退社したため、
商法第162条の定めるところによって平成13年9月30日に解散しました。
会社の解散とは、土地建物その他の全資産を売却し、
負債を弁済したのちに、出資者に残余財産を分配することです。
幸いにして或る不動産業者が平成17年5月に買い取ってくれました。
旧寿々川合資会社(記事等には「旧大竹酒造店」)の保存を願う方々が立ち上がって、
前橋市に買い取りと保存を訴え、不動産業者と市はこれに応えました。
このレンガ蔵や煙突の将来は、前橋市に委ねられ、
市は地域開発と連動して保存するという意思を表明されています。
この地域は土地区画整理の区域決定がなされていますが、
事業者が前橋市であるため、事業後も保存されると考えられます。
困難な運動を組織され、粘り強く活動された有志・団体の皆様方、
先行き不明の区画整理事業区域の不動産を買い受けた不動産業者、
最終的に保存を決定した前橋市に、心から感謝申し上げます。
ご連絡の場合は chatnoir@platz.jp にメール下さい。
2005年3月19日
前橋市の保存決定により、2006年6月20日に文言を修正しました。
2006年に入ってこのレンガ蔵と煙突の保存を願う人々が立ち上がりました。彼らが前橋市その他に提出した要望書が直接の導火線となり、土地を買い受け所有していた不動産建設業者から前橋市が買い取るに至りました。詳しくは、要望書と前橋市の動向を伝える上毛新聞の記事をご覧下さい。